原爆の悲劇を背負う横山照子さんが、核兵器廃絶に向けた思いを語りました。83歳の横山さんは、広島で被爆した経験を持ち、妹の立子さんの苦しみを忘れずに生きています。彼女は、原爆により声を失い、視力を奪われ、人生のほとんどを入院生活で過ごした妹の姿を振り返りながら、核兵器廃絶への決意を新たにしました。
横山さんは、当時4歳の時、広島の自宅で原爆の瞬間を目撃しました。8月9日11時2分、母親と妹と共にいた彼女は、突然の光に驚き、外へ飛び出します。幸いにも、母親と妹には怪我がありませんでしたが、その後の生活は大きく変わりました。妹の立子さんは、被爆後に声を失い、病院生活を余儀なくされ、44歳で命を落としました。
横山さんは、妹が「生きている価値がない」と感じていたことを明かし、その心の痛みを語ります。「私たちが風を引くと声が枯れますが、それが彼女の日常でした」と彼女は言います。立子さんは、視力を失うまでの苦しみを抱えながら、精一杯生きようと努力しました。
彼女は最近、ノーベル平和賞を受賞し、その後初めて両親と妹の墓を訪れました。「楽しい思い出がなかった気がしますが、今は両親の元で安らいでいると思います」と語る横山さんは、被爆から80年を迎える今年、妹への思いを胸に核兵器廃絶に向けて活動を続けています。
「私たちが抱える原爆の悲劇を忘れず、核兵器をなくすために頑張っている」と世界の人々に呼びかける横山さん。彼女の経験は、核兵器の恐ろしさを伝える重要なメッセージとなっています。